映像制作から距離を置くに至った経緯と、今後の映像制作に対する個人的な展望
なぜ私は映像制作から距離を置いたのか、そして映像制作に対する極めて個人的な展望の2点について説明する前に、個人的背景をまず書き記します。
私の簡単な経歴として、映画好きが高じて高校卒業後に Los Angeles City College でシネマ科を専攻し卒業帰国後、数社の制作会社に3年ほど在籍しました。のちにフリーランスで3年ほど活動、その後も映像とは一切関係のない会社にしばらく在籍しても映像を作れるということで主業務の傍らPR向けに動画作成・ビジュアル関連の作成(パンフレットやポスター等)も担当していました。
私が映像制作から距離を置くに至った理由を簡潔に説明すると、自分自身の中で、映像媒体に対する視点に限界を感じたからです。従来の映像制作(特に小規模事業としての)について極めて個人的な展望としては悲観的で、参入障壁の低下した飽和市場となっています。その現状を鑑み、以前のような映像制作事業に関わることは一切ありません。
この記事内の記述は、映像制作に携わる先駆者たちの過去の知見や作品を参考に、映像制作者として活動した私個人の実経験から得たもので、同じような制作者たちの中の一つの例にすぎません。
今回解説していくにあたり、まずは私の学歴と経歴を説明します。
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沖縄県本島南部で生まれ育ち、親の影響でハリウッド映画に魅了され、高校卒業後にイースト・ハリウッドにあるLos Angeles City Collegeでシネマ科を専攻し、2003年に卒業しました。カレッジでは8mmフィルム・16mmフィルムでの短編映画制作や、映画歴史・脚本・プリプロダクション・撮影・演出・音響・編集など一貫したコースがあり、デジタルシネマの基礎も学びました。在学中の2002年春、全編デジタルで撮影された映画『スター・ウォーズ:エピソード2 / クローンの攻撃』が公開されましたが、その当時のデジタルはフィルムとの画質の差において疑問視する学生も少なくありませんでした。その頃キヤノンが「XL-1」というビデオカメラで「Frame/Movie Mode」という機能を搭載し、ビデオ独特の生々しい動きを少しばかり映画風に近づけることが可能になり注目を集めました。(*映画『28日後...』は後継機種 XL-1S で撮影。)私も映像に対する基本的な捉え方はテレビ的ではなく映画寄りでした。ソニーの手頃な民生機ビデオカメラで、シャッタースピードを1/30に固定するなどしてなんとなくそれっぽくならないか試行錯誤したものです。パナソニックがその数年後、フィルム映画と同じように1秒間に24コマ収録ができる業界初の民生機ビデオカメラ「AG-DVX100」を発売し、その方面の層でニッチな人気を得ることになります。
映画を学んだもののドキュメンタリーが好きなジャンルになり、日本で何か作ろうかと検討したものの充分な機材などは持ち合わせてはいません。帰国後は沖縄県内にある映像制作会社に入社し、週末はブライダル記録撮影、平日はダビング作業などが主な職務でした。沖縄の伝統文化を紹介するという学校向け教育ビデオ制作の企画があり、リサーチ・台本作り・編集などをさせてもらうことでカレッジでのシネマ科修了が役に立ちました。
その後に上京し、キー局で毎週深夜の番組を制作しているドキュメンタリー制作会社にADとして在籍しました。会社代表は硬派で著名なジャーナリストで、ネタ出し会議ではスタッフ全員に厳しい評価がなされました。撮影に必要な社内の機材はほぼ扱えたので、外観撮りやインタビュー撮りはすぐに任されましたが、ネタ探しやリサーチにおいて「ネットで探すな!」は基本原則でした。インタビューの文字起こしは最も時間のかかる作業でしたが、相手の表情・仕草・口調などからその人物像が捉えられるような気がして興味深い経験となりました。なにぶん図太さがないのでTVディレクターには向かないだろうと判断し、地方で工場派遣の仕事をしながら、映像制作者としての独立を目指し資金を貯めていきました。
各地の工場で勤務する中で、動画共有サイト「Vimeo」の存在を知ることになります。2000代後半はデジタル一眼レフカメラ(DSLR)の登場で、デジタルビデオ業界である種の革命が起きます。業務用ビデオカメラを遥かに超えるカメラ内のイメージセンサーの大きさと併せ、一眼レフ用レンズが使えるようになり、手軽にフィルム映画のような被写界深度の浅いビデオ映像の撮影収録が可能となったのです。多くの海外クリエーターたちがそれらのカメラを使用した作品紹介や情報交換を目的とし、ユーザー同士の交流がVimeoで盛んに行われました。一方、私はデジタル一眼レフカメラではなく、パナソニックのミラーレス一眼カメラ「DMC-GH1」 を購入し、ファームウェアを書き換えることでカメラ本来の画質をさらに向上させました。ファームウェアのハッキングによる改良と安定化を図るための情報交換もVimeoの存在があってこそでした。(この時代のVimeoユーザーの皆様は、DSLRでのビデオ撮影が可能になる前に「Letus35」というアダプタが話題になったのは覚えていますか?)
時を同じくして編集ソフトのプラグイン「Magic Bullet Looks」の登場で、カラーグレーディング処理によって作品全体の雰囲気を容易に演出できるようになります。デジタル一眼カメラやプラグイン等は、海外では小規模なクリエーター集団の間で一大ムーブメントとなっていましたが、私の知る限りでは日本国内ではさほど盛り上がっていないような印象を受けました。大小問わず日本の映像制作会社は、テレビ業界出身者や業界関係者が多かったことが一因だと推量できます。また、小さなカメラを用いた映像制作に対する世間体というものも関係していたのかもしれません。
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映像制作者として独立できる資金が集まり沖縄に帰郷しましたが、成人になって以降、地元のことをほとんど知らないことに気づき沖縄本島内を車で巡りビデオ撮影しYouTubeやVimeoに動画をアップしていきました。その後、沖縄のWebコンテンツ制作会社に勤務し、主業務の傍ら自ら企画した動画シリーズなどを手掛けさせてもらいました。そこでは円満退社でき、独立後も助けてもらうことになります。退職直後からすぐに案件を頂けたのは、VimeoやYouTubeに自作動画を載せていたのと、地元のブログサービスで映像にまつわる雑学を紹介していた事も大きく影響しています。ポートフォリオサイトとしてのホームページも無く、開業届も出していない独立直前から運良くタイミングが合ったという他ありません。今で言うところの「シネマティック」な作風で、沖縄でデジタル一眼を活用し個人事業されていて尚且つ個人的関心の持てる方は、私の認識していた範囲でお一人しかいらっしゃらない状態でした。フリーランス活動中は外回りなどの営業活動は一切行わず、法人/団体/個人事業者のみに客層を絞っていました。とあるブライダル映像制作会社からの定期的なお仕事のお誘いもありましたが、週末撮影・平日編集とやりたいことが出来ないので、暇さえあれば行ったことのない場所を撮影・編集してネットにアップと、そちらに力を入れて他の制作会社がやっていないことを試していきました。タイムラプス動画に熱を入れ始めたのもその頃だったと記憶しています。ホームページを作成し始めた頃にはサンプル動画はすでに集まっている状態だったので完成もスムーズに出来ました。
*YouTube チャンネル アナリティクス(フリーランス開始前に使用していたアカウント)
*YouTube チャンネル アナリティクス(フリーランス『屋号:indieVISUAL』開始後に使用していたアカウント)
(*Vimeoの全再生回数も上記YouTubeアカウントと似たようなものだと思います。ポートフォリオサイトではVimeoの動画を埋め込んで活用してました。フリーランス当時のWebサイトのアナリティクスは過去のデータが残ってないのと、ある程度の数字すら忘れましたが、検索からの制作技術関連記事への流入が圧倒的に多かったです。それらのページに辿り着くのはほぼ同業の人でしょうから、そこからお仕事に繋がるかというと…)
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開業後半年も経たずに某大手企業の法人営業部から約1年にわたる長期の大型案件を頂きました。フリーランス1年目としては受注実績としては良いほうではと思います。その実績で積極的な営業活動をやれば新規の顧客獲得に大きなプラスになることだったでしょう。フリーランスという立場だったので、入金に関して前職の会社や他会社に必要書類作成などをお願いすることになったので大きな声では宣伝できない状態ではありました。フリーランスとしての映像制作活動は約3年間でしたが、他にも観光関連の案件や県外企業からの高額案件などもありましたし、一般のお客さんとは個人間取引は一切行わない方針でしたが、仕事関係者の方のみについては自由にさせてもらう条件で受注することもありました。同業者のお手伝いや機材レンタルなども引き受けましたが、こちらから何かを依頼することはありませんでした。クライアントには制作に深く関わって頂き、共に作り上げていくスタイルが、留学時代に自主映画を仲間たちと作っていた時のようで、かけがえのない経験になりました。年収換算でも前職を上回る収入を得ていましたが、お金儲けがしたいという金銭的欲求はありませんでした。私には子はいませんし、生活において守るものがない、ある意味で非常に恵まれた環境下で自由気ままに映像制作活動を行っていたのです。最も大きな実りは、私の狭い視野を広げてくださったクライアントの方々との出会いです。廃業後、何年も経っているにも関わらず職の紹介をしてくださったり、10年近く経っても案件のご連絡を頂くこともあったり、それでも映像制作にこれ以上関わることはできませんでした。
──── 私が映像制作から身を退いた理由。自身の中で懐疑の念を抱いたためです。それは複数あり、その一つを一言で言うのなら、ありがたくも依頼頂いた内容に対して、「映像である必要性があるのか?」。映像でしかできない独創的な表現法が浮かばない自分自身の発想力の乏しさもさることながら、仮にお受けたとしてその通りに制作を完了しても、ただの「作業者」でしかないのではという疑問に至りました。2013年頃からだったでしょうか、その頃にはVimeoでは過去のような盛り上がりが落ちていました。カメラ等の新しい機材やアプリケーション類が発表されるたびに沸き上がっていたコミュニティも、機種世代が変わっても新鮮さがなくなり、次第に冷めていったかのようでした。その上、技術進歩の発展により、誰でも気軽に質の高い動画を作れるようになったのです。映像制作を専門とする人間と、感性豊かな一般消費者が作る映像との差が、いよいよ縮まり始めてきたと感じました。私自身もフリーランスの立場になった当初、他の制作会社が手がけないとうなことをすることで、それを利用したので不平不満を言う筋合いはありません。
参考として、過去に私が書いた投稿記事を原文のまま引用します。
投稿記事:【 映像制作における、手段の目的化 】
https://indievisual.jp/thoughts/why-do-you-need-a-video/
by
indieVISUAL / 久手堅憲史 (Norifumi Kudeken)
2014-03-27
プロダクション・バリュー(Production Value)という言葉は、かの国の映画・映像産業における業界用語。
正確には【製作の質】ということになろうが、ほとんどの場合、低予算の映画制作における【費用かけた感】だったり【作り込み感】の意味合いで使われている。
映像制作の業界でプロダクション・バリューとういう言葉を使わなくても、作る側は(意識的に、もしくは無意識に)映像という成果物にその概念を反映させようとする。
豊富な予算でも駄作は生まれるが、はなから安っぽい作品になってしまうと評価が下がるのだから、プロダクション・バリューを上げることは非常に重要な課題となる。
(いま人気のある演者を起用したり、撮影で新しい機材を使うことだったり、編集でエフェクトをかけたり、etc…)
作る側はプロダクション・バリューの向上に躍起になるのだが、観る側はそれ自体を見ているわけではない。
「その予算でこんな風に作れたの?」なんて感じるのは関係者や映像オタクくらいだ。
制作の度合いが多様化した(制作費を抑えても見栄えのいいものができる技術の発達のおかげで)今の映像制作業界においても、制作側が最も気にしている点が、
『低予算でも、いかにクオリティーを高めるか。』
お仕事として依頼された映像制作でそれを成し遂げた時、クライアントにすごく喜んでもらえる。こちらとしてもうまくやったと思うだろう。
それで、また同じ文章を繰り返すのだが、
作る側はプロダクション・バリューの向上に躍起になるのだが、観る側はそれ自体を見ているわけではない。
「その予算でこんな風に作れたの?」なんて感じるのは関係者や映像オタクくらいだ。
そもそもなぜ映像が必要なのか。
本来のある目的を達成するための、手段・方法にすぎないはず。
そこを見失ってしまったら、行き着く先は、手段の目的化。
【 2017.03.27 追記 】
上記は3年前に書いた文章ですが、見方によっては批判めいている感じもあるかもしれません。こういう見方もある、というのが当初からの考えです。
ただ補足するのであれば、それらを踏まえて、
手段や目的といった概念をも超えた何かが存在するのなら、取り掛かるべきではないだろうか。
上記の投稿記事は、先述の長期案件の終盤に書いたものです。3年後の2017年に追記しているように、動機に関わらず、やりたいことがあるのなら、着手べきだと今でも考えています。開業2年目に入り早くも迷いが出始めているのは見受けられますし、自分で読んでいても何を書いているのだろうと理解に苦しむところもあります。ただ、映像制作を専門とするにはかなり長く険しい道を歩き続けるのは確かです。(どのような仕事においても同様ですが。)引き続き次年度の事業計画のご相談もありましたが、お断りする方向に持っていく形で申し訳をすることとなりました。
それでも明言できることは、仮に廃業せずに続けていたとしても、映像というものにこだわり過ぎて結局は辞めていたに違いないのです。この頃からでしょうか、仕事よりも「映像とは何か」と哲学的な問いに囚われ、無償で映像を作らせてもらえないかと他者にアプローチし始めました。それと並行してアニメーションGIFを用いたシネマグラフの作成も試したりもしました。(今ではスマホ1台で可能のようです。)
映像専門職は技術発展に抗えないのでしょうか。そんなことはないと私は断言できます。技術を使って何をするかは、それを使う人次第なのですから。
また参考として、1年後に私が書いた投稿記事を原文のまま引用します。
投稿記事:【 映像とは 】
https://indievisual.jp/thoughts/transparency-in-frame/
by
indieVISUAL / 久手堅憲史 (Norifumi Kudeken)
2015-03-18
映像は、空間的に、必ず [ 枠 ] に囲まれている。TVモニターの画面、劇場のスクリーン、ホログラムが映し出される範囲にしても。
今これを読んでいるデバイスの画面にも、枠がある。
そちら側の枠の外がどうなっているのか、私には知るすべは無い。もしあなたがそこに存在するのなら、ここにいる私の存在を知っている。実に奇妙だ。
『我思う、故に我あり』
ではなくて、
『君あり、故に我あり』
なのでしょう。
題材(Subject)が存在する世界と、それを見る対象者(Object)が存在する世界はまるで違う。お互いに枠の外を見ることができないのはお互い様であるのだけど、その枠があるからこそ、お互いの世界が少しだけ繋がる。
生きているもの全てにそれぞれの世界があるように、映画などの映像媒体にも多くの世界が作られている。地球上でこれまで作られた映画の数ほどのパラレルワールドが、感じることしかできない形で存在していると言えないだろうか。
実は元々全てはつながっているのだけど、つながりを実感するきっかけや、言語や聴覚や視覚で具現化された姿が、人間には時に必要なのでしょう。
自分自身の中で哲学をしすぎて、この記事の投稿から半年後に廃業しました。フラット化したように見える映像業界の世界で、探究心を失われていることを自覚したためです。フリーランスを始めた時のような情熱がなくなったことで自己嫌悪に陥り、カメラを外に持ち出すことも辞めてしまいました。
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私が映像制作から距離を置いた理由をまとめます。
映像ならではの独創性を追求できない自己懐疑
原動力であった探究心の喪失と情熱の衰退
妥協したくない一方で、映像制作を継続する意志の欠如 [New]
これら2点が主な理由です。仮に映像制作会社で前の数倍の年収で雇用される機会があったとしても辞退します。やはり映像が好きだからです。妥協したくなくてフリーランスを選択したのだから、好き過ぎて深く考え過ぎてしまい、結果としてまた同じ状況に陥ってしまうでしょう。「妥協したくない一方で、映像制作を継続する意志の欠如」も先ほどのリストに3点目として追加しておきましょう。
映像制作事業に対する個人的な展望は、冒頭に書いたように、従来の映像制作形態を継続するのであれば悲観せざるを得ません。Vimeoに勢いがあったあのわずか数年の期間に活躍していたクリエーターたちの現在のネット上での存在感を鑑みると、もしまだ業界に残っているとしても厳しい環境下にいるのではないかと推測しています。しかし、映像制作の意義は今後も変わらないでしょう。ネット上には私たち人間が一生かけても観れないくらいの膨大な量のコンテンツが存在しています。私も映像媒体を通して未知の世界に触れたり、有益な情報や見識を得られる動画やTV番組は積極的に視聴しています。映像制作を専門とするだけでなく、他の分野の専門知識と組み合わせることで、相乗効果を生み出す可能性も秘めているのではないでしょうか。自身でもまだ気づいてない特殊な能力が備わっているかもしれません。マイケル・ルイス著『マネー・ボール』では、守備や打撃は指導によって上達はできても、選球眼だけは天性の才能であり、作中でその重要性が描かれています。映像制作に関わらず何か制作することを生業としてうまくいくかどうかは、純粋な情熱を持った上で、好きで作りたいものを作り続ければ、制作場所で良い出会いがあったり、作ったものが誰かの目に留まり私たちの存在意義を知り、相互に私たちも彼らから新たな知見を得るられるでしょう。宝くじに当たるような運の要素だけではなく、目まぐるしく変化するこの世界でおいて、確実に誰かが何かを探し求めて見ているのです。それはまるで、まるでメジャーリーグのスカウトのように。
私自身については、視覚的に訴えるものが好きなので、今後は生成AIを活用していくつもりです。映像にしたいと思ったら、きっとそうすることでしょう。
久手堅憲史 (Norifumi Kudeken)
*補足としてフリーランス時に使用していた主な機材を記載しておきます。
カメラ:Panasonic DMC-GH1、DMC-GH3、DMC-GH4、AG-AF105、AG-AC90。
レンズ:Panasonic 7-14mm/F4.0、12-35mm/F2.8、14-140mm/F3.5-5.6、20mm/F1.7。NOKTON 25mm/F0.95。Sigma 18-50 F2.8 EX MACRO。
編集機材:Mac Pro 3.2GHz Quad-Core Intel Xeon、iBook G4。
編集ソフト:Final Cut Studio、EDIUS、 Photoshop。
数本の三脚に¥15万以上、マイク、ワイヤレス送受信機、オーディオレコーダー、ケーブル類に30万ほど。
他もろもろの周辺機器・ソフトウェア・一般用具などの合計は覚えていません。
上記の総額は¥300万は超えていたかと思います。
─ ポンコツAIを相手にしているという感覚で、お気軽にコメントしてください。─
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