生成AIとオキナワに対する考え(2025年9月時点)
私は、過去にオキナワで個人の映像制作として活動してきた中で常に感じていたことがあります。
時効だと思って記しますが、「観光」関連の制作依頼に対しては、大抵の場合、他で同じように制作できる制作者/企業に依頼した方がいいのでは、と好き好んで引き受けたいという気持ちが徐々に落ちてきました。趣味として風景などを個人的に撮影する分には良かったのですが。もちろん、魅力的な案件もありましたし、その機会を与えてくださったことには感謝しかありません。
幸い収入源に関しては、そいういった案件(観光関連は非常に予算が限られます)より、別の業種についての制作が主にはなりました。(成果物については当然、上記の事業でも制作中・制作後も最も繋げやすい観光関連に紐づけられるケースも少なくありませんでしたが。)
あまりにも内省しすぎて個人での映像制作を辞めた直後、もっと視野を広げようと、ある地域の「まちづくり」を事業とした団体に所属しました。(そこでも、プロモーションとしての動画作成、パンフレット・ポスター作成など、視覚表現なら私が可能なあらゆるものを、今でいう観光協会という存在がやってきていることを業務の傍らやることになりましたが。)
くわしくは記しませんが、やはり観光に結びつけるしかなく、そこからは逃れられないのだと身をもって悟るのです。
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そして、コロナ禍を終えてのオキナワの今──沖縄県民総生産の約3割弱が観光業に依存(波及効果としての現況は計り知れないかと、後日調査予定)、そのサプライチェーンが観光業衰退時に付随産業ごと連鎖的に衰退。はやくもコロナ禍を既に忘れ去っているかのように感じます。
自然を守りたいと言いつつ破壊し、旅行者を増やしたいと言いつつ地元民には配慮しない、基地が問題だとしつつ国家安全保障については考えない。
例を挙げればキリがないので、改めて違う形で今後、映像媒体を使って分かりやすく解説し公開する場を設ける予定です。父の行なっている農業についても既存のさとうきび栽培からの脱却を図りながら、本格的に実験しながら模索していくことでしょう。
観光産業自体が、「観光資源」を呼ばれる過去の遺産(歴史・自然)を消費し結果的なものとして政治的・地理的に極めて特殊な環境下で成立してるにも関わらず、沖縄県ですら観光業への依存度を高めるという愚策だと個人的には考えています。沖縄県自体に、多くの旅行者を受け入れつつ過剰制限にも対応できる行政/経済力が果たしてあるのでしょうか。
生成AIをツールとして扱うのであれば、内省し、哲学・倫理学・データサイエンスなどを学んでからの方が良い考えます。入力者の思い通りに出力させると自己肯定/自己満足に終始しがちです。使うにしても最初に「自身の考えの軸はこれ」とまず入力し、「他に隙は無いか?」と最後に問いを投げかけた方がより良いのではないでしょうか。
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生成AIというものは学習済みのものや既存情報から答えを出そうとしますし、そもそも人類が学習しないと生成AIですら同じレベルになってしまいます。(生成AIで創作された映像媒体にはしゃいでいる場合ではありません。)ネット上の情報にも限りがあるのであれば、1次情報を得るには自分自身で動くしかないという、私の個人的な考えが一層強まるわけです。生成AIによって出力された情報を人間に活用するのであれば、結局のところ、人間の内を理解していかなければならないではないか、と行き着くわけです。
今後私がオキナワで手をつけることとして、「映像」「農業」と、あともう一つありますが、別の機会と致します。